『ダイバーズ!』 第十六章 【再来する恐怖】 ②

 黒木冴子が落ち着いた表情を沢田に投げかけてきた。小学校の時、教室の机で、わからない問題と格闘している沢田に声をかけてきた教師のようなおだやかな顔だった。

「どの部分が怖いの?」

 丸ごとだ。敵の前に出るどころか、敵に通じる道に立つことすら怖かった。

「戦闘の全部です。戦地にダイブすることから怖くてたまりません。今度はどこに強制転移させられるかと思うとぞっとします。あれは明らかに同じ敵です。あのアーントには、智美の雷撃ですら通用しませんでした。あれには勝てないんです。ダイブなんかして、コックピットとの通信を妨害されたら逃げることもできません。死にに行くようなもんです。僕は絶対に出たくありません」

 一気に言い切った。黒木冴子に戦闘以外で沢田の居場所を考えさせるチャンスだと思った。だが黒木冴子は落ち着いた表情のままだった。

「強制転移とサルベージの妨害、そしてあのアーントに歯が立たないこと。この三つがおまえの問題ということでいいのね?」

 簡単にまとめられたことが不快に思えたが、黒木冴子がいった三つですべてがカバーされていることは確かだった。

「そうです。隊長は経験していないから、あの恐怖がわからないんです。出て行ってしまった後藤さんたちのダイブも中止すべきです。あそこへ降りたら、全員が殺されます」

 黒木冴子は沢田の言葉を気にする素振りさえ見せない。

「おまえが心配しているようなことは発生しないわ。わたしが保証してやる」

「わからないんですか。雷撃がまったくきかなかったんですよ。勝てないんですよ、あのアーントには」

 いつの間にか叫んでいた。緊張すら感じられない黒木冴子に腹が立った。

 黒木冴子の後ろで、テーブルの上に立体スクリーンが浮かび上がった。

「局長、話があるの」

スクリーンに立花が現れた。まるで書類にでも目を通しているかのような事務的な目つきをしている。

「さっきからの話は聞いておる。聞くべきことがあるのなら聞こう」

 沢田は慌てた。局長を呼んだということは、黒木冴子は沢田が十七小隊では使い物にならないと言うつもりだ。留美と沙紀を守るために退役するわけにはいかない。唇をかんだ。沢田の命よりも重い留美と沙紀。戦場に行くしか道が無くなった。

「隊長、すみませんでした。やっぱり、僕は」

 黒木冴子が沢田を無視して話を始めた。

「もし、サルベージができない状態になったり、おまえの生命に危険が発生したりしたら、わたしは隊を去る」

「えっ」

「局長、聞いてるわね。これは、わたしと沢田の約束よ」

「うむ、ちゃんと聞き届けた」

「沢田、局長の前での約束よ。わたしが先にダイブしてから、遠隔でおまえをダイブさせる。電波遮断が起きてたら、遠隔でのダイブはできないわ。状況が危険と判断したときもダイブはしない。これならいいわね?」

 驚いた。黒木冴子は自分の職を賭けてまで、沢田を戦場に立たせようとしている。そうまでする理由はわからないが、確かに黒木冴子が言う手順なら沢田の身の安全は確保される。だが、平気で言い放つ黒木冴子の気が知れなかった。なぜあれほどの思考力を持ちながら、黒木冴子は勝ち目のない戦いに向かおうとするのだろう。なぜこんなに冷静でいられるのだろう。そして、なぜ黒木冴子は、自分の職をかけてまで沢田を戦闘に復帰させようとするのだろう。沢田という入れ物の中を自分でのぞいてみた。何も入ってはいなかった。

「わかりました。いや、すみません。本当に感謝します。ただ行くのは本当に危険です。あのアーントには勝てないんです」

「そんなことはおまえが考えることじゃないわ。目の前の戦闘から一度でも逃げたら、戦場に戻るハードルは高くなる。逃げたという負い目が積み重なっていくだけだ。それを肝に銘じておけ。時間が惜しい。わたしは先に行く。おまえはダイビング・チューブで待機しろ」

そう言い残すと黒木冴子はコックピットから走り出していった。

「黒木隊長を信用しろ。彼女が約束を破ったことは一度もない」

 沢田は小さく頭を下げると、コックピットを後にした。