『ダイバーズ!』 第十九章 【死の選択】

五分以内に決めろ」

 白衣をひるがえして木崎が実験室の奥へと歩いて行った。額から流れた汗が目に入り、視界がにじんだ西原の目には、木崎の姿が白い亡霊のように見えた。地下に降りてきたのは七年ぶりだろうか。入所したとき、同じ大学出身の先輩が西原にいった言葉を思い出した。

「ここで成功しようと思うなら、失敗しないことだけを考えろ。それがここで出世する秘訣だ。大きな失敗でもしたら、一生、地下で冷や飯を食わされる羽目になるぞ」

 西原はひたすらその言葉を守り続けてきた。どんなに興味を引かれる研究テーマがあっても、時間が掛かるものや失敗のリスクがあるものは、じっとこらえて目の前を通り過ぎていくのをただ眺めていた。面白みのない単純作業のテーマばかりをただ黙々と機械のようにこなすだけだったが、小さな成果が実績となって積みあがっていくことで自分を納得させていた。

地位が上がり、上層部に顔が利くようになると、本部内でゴール間近の研究を取り上げて自分の成果として花を咲かせた。このころ大事なのは研究ではなく人脈だということを確信していた。西原の功績のひとつになっている筋縮細胞強化遺伝子の強制発現も、元は木崎が八年かけて成功の筋道を作り上げたものだった。身勝手で仕事にムラがある木崎に任せておいたのではゴールが見えて興味を失った木崎は研究を放置してしまう、実直な自分に任せれば確実に本部の成果とすることができる、と上層部に告げ口をして取り上げた。

そんなものをいくつも積み上げてきた。取り上げられない研究を潰したこともある。予測が外れて少しでも失敗の危険性が出ると、理由をつけて他人に押し付けた。なにがあっても失敗のカードだけは握らないように注意深く生きてきた。そのおかげで西原は、エレベーターで上がるように、するすると今の地位までのぼってきた。

たったひとつの階段を踏み外しただけなのに。あと二年そこそこで防衛省を去るつもりだった。そこから先は、防衛省への納入企業で役員に納まり、悠々自適な日々をおくれる道がまっすぐなコンクリートの橋となって伸びていた。だが今、その橋は崩れ去り、西原は深く切り立った崖っぷちに立たされ、その底では吸い込まれそうな暗闇で一陣の空っ風が吹いている。

木崎が両手に透明で小さな薬ビンと細身の注射器を持って戻ってきた。

「とっとと決めろ。いやだというなら、おまえと口をきくのもこれが最後だ。勝手に地獄へ落ちろ。あの鷲尾のことだ。秘密を知ってるおまえを、どうするかくらい想像がつくだろう」

木崎が握る薬ビンに視線が吸い寄せられた。額から滝のように冷たい汗が流れた。逡巡した。