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『ダイバーズ!』 第十六章 【再来する恐怖】 ①

朝八時二十分。地下鉄霞が関の駅から地上に出ると、晴れ渡った空から、明るい陽射しが降り注いでいた。まぶしさに思わず目を細めて、右手を目の上にかざした。左手の通勤かばん。おととしの誕生日に留美が買ってくれた茶色のレザーバッグだ。中にはティッシュくらいしか入っていない。書類や電子端末を入れることはセキュリティーの問題でご法度とされているからだ。

 桜田通りを歩き始めたとたん、胸ポケットの携帯端末が鳴った。立ち止まって携帯端末を胸から引き抜くと、インカムを耳に差し込んだ。画面には長谷川の顔が静止画像で映し出されていた。

「出やがったぞ。すぐにダイブだ。コックピットに集まってくれ」

 胸の奥がざわついた。戦闘に出ろ言われるかもしれない。耳からインカムを取って、携帯端末を胸に戻すと、防衛省ビルに向かって走った。膝が細かく震えていた。

 

 潜水艦の司令室のようなコックピット。壁に埋め込まれたさまざまな機器を、五人のオペレーターが言葉も無く操作していた。中央に置かれた腰ほどの高さのテーブルは立体スクリーンを投影するためのコンソールになっている。沢田がコックピットに駆け込んだとき、すでに黒木冴子、長谷川、寺井、菊池、原田の五人が、立体スクリーンに映し出された三次元画像を取り囲んでいた。長谷川が沢田の方に顔を向けた。

「後藤がきたら、話を始めるから、それまでこれで現場の状況を見ていてくれ」

 立体スクリーンには、光るパイプを無数に伸ばしたサーバーと、八体のジャイアント・アーントが映し出されていた。ジャイアント・アーントが鋭い鎌足でサーバーを攻撃している。あのアーントだ。切り落とされたときの感覚が両腕に蘇った。

「あれは、僕たちがやられたアーントです。智美の雷撃ですらまったく利きませんでした。倒す方法はありません」

「意外ね。信用金庫にしては、頑丈なファイアー・ウオールじゃない」

 黒木冴子が感心したようにいった。沢田の言葉は素通りしていた。

 後ろでドアが開く音がした。振り向くと後藤だった。

「なんだ、おれが一番最後か。時間がないんだろ。始めてくれ」

「長谷川、話を始めて」

「現れたのは、沢田たちの戦闘で出てきたのと同じジャイアント・アーントだ。正規部隊じゃあ勝ち目がねぇってことで、出動要請が回ってきた。現場は東亜信金の勘定系サーバーだ。十分前に監視システムが攻撃を検知して、各所へ自動通報が届いている。信金側は、朝からの運用停止も視野に入れて、今、首脳陣が方針を討議中だ。すでにバックアップシステムとのデータ照合を開始している。データの照合が確認できたら、最悪、このメインシステムはデータを一括消去して切り捨てるそうだ」

「システムの防御時間は計算できた?」

「あぁ、このまま八体なら、あと五十分は持ちこたえるが、最悪、三十二体出てくることを想定すると、あと二十分ってところだ。今のところ、ファイアー・ウォールがことごとく奴らの攻撃を跳ね返してるが、奴らも解除コードを探して攻撃している。このままなら、侵入されるのは時間の問題だ」

 後藤が顔を曇らせた。

「三十二体だぁ、数が増える可能性があるのか?」

 長谷川がスクリーンに手をかざすと、緑のラインで描画された立体グラフが表示された。

「こいつが今の仮想フィールドの状況だ。わずかだが、ここにへこみが見えるだろう。アーントを送り込んできたチャネルが今も維持されている。このチャネルの太さから計算すると、ぴったりアーント三十二体分だ」

 長谷川が指差したグラフ上の一点は、溝のように、わずかにへこんでいた。

「あと、二十四体が控えてやがんのか」

「議論の余地はないわね。降りるぞ。敵を殲滅する。沢田、ダイビング・チューブへ行って待機しろ。後藤、菊池、原田、五人編成のパーティーで行く。チャネルの位置を頭に入れておけ。長谷川、ダイブまでに、チャネルから送り込まれてくるアーントへの攻撃パターンをすべてシミュレーションしておくように。寺井、ログの回収は頼むわよ」

 背中を冷気が駆け抜けた。黒木冴子が、沢田にまた、あのジャイアント・アーントの前に行けといっている。足が床に張りついたように動かなかった。

 後藤が不満に満ちた顔を黒木冴子に向けた。

「隊長、これは本番の戦闘だ。沢田を部隊に加えちまったのは仕方がないが、パーティーに加えるのはやめてくれねぇか。戦闘は命がけだ。沢田はコックピットにでもいさせてくれ」

 低く抑えた声。後藤は腕を組んでうつむいたまま岩のようにじっと動こうとしなかった。沢田も、もう戦場には絶対に行きたくなかった。「戦闘には出られません」。のどまで出掛かった言葉を抑えて、後藤が押し切ってくれることを腹の底で願った。

「今日は沢田に見学させるだけよ。戦闘に参加させるタイミングは別に考えている」

「見学だぁ。ふざけるなよ、隊長。学校の体育の時間じゃないんだぜ」

 後藤が怒りで顔を筋張らせた。長谷川が顔をしかめた。

「後藤、こんな緊急時にだたこねるなんざ。ベテランの傭兵がするこっちゃねぇだろ」

 後藤は目だけ長谷川に向けて、あごで沢田の方をしゃくった。

「むかつくんだよ。こんなクソぬるい一般自衛官野郎に戦場をちょろちょろされたんじゃ」

沢田は腹の底で後藤に感謝した。沢田が白旗を上げる地固めをしてくれたからだ。ここまで拒絶してくれれば、沢田が戦場に行かない原因は、沢田ひとりのせいじゃない。沢田は、自分の意思を押しとどめていた喉の力を緩めた。

「僕は……」

口を開いた沢田に黒木冴子が顔を向けて、じっと見つめた。後藤と長谷川も沢田を見ている。

「僕は戦闘はできません。怖いんです。こうしてるだけでも、膝が震えて。すみません。戦闘は勘弁してください」

後藤が勝ち誇ったように鼻で笑った。

「これでわかっただろ。こいつは自分で出る気がないって言ってるんだ。闘う気力のないやつが生き残れるほど戦場が甘くないことくらい隊長が良く知ってるはずだ。こいつはもう放っておけ。先に行くぞ」

 後藤が腕組みを解いてコックピットから走り出していった。菊池と原田が後を追って、駆けていった。